明智光秀藪
みんなが知っているであろう明智光秀。
そう、あの織田信長を討伐したとされる
本能寺の変を起こした有名な武将。
主君を倒されて急ぎ戻った羽柴秀吉
(後の豊臣秀吉)と戦った合戦が山崎の戦い。
今の京都大山崎付近で行われたのが
天下分け目と言われた山崎の戦い。
激しい戦いの末、破れた明智光秀は
逃走を図りますが、途中土民の急襲を受け
竹槍で殺されてしまいます。
そんな明智光秀が殺された場所が
伏見区にあります。
秀吉と戦ったのが、今の大山崎だったので
てっきり、大山崎近辺で討ち取られたと
思い込んでいた。(汗)
そう思っている人は結構いるハズ。(汗)
本当に明智光秀が討ち取られた場所が
伏見にあるかどうか現地に行ってみた。
グーグルマップで検索すると
本当に明智藪としてヒットした。
比較的交通量の多い道路から
脇道にそれたところに明智藪があります。
しかし、明智藪付近の道路は入り組んでいて
脇道に入らないといけない。
道が分かりにくいので新小栗栖街道からの
行き方を書きます。
新小栗栖街道は明智藪付近ではメイン通り。
新小栗栖街道から少し広めの5差路を右折。
まっすぐ突き当たりまで行くと分岐部を右折。
ちゃんと案内板もあります。
右折して比較的すぐに右折。
さらに突き当りを右折。
いっけん、民家の敷地かと思わせますが
ちゃんと小道があるので真っすぐ進む。
カーブしている小道の先に石碑がある。
この先に明智藪がある。
明智藪らしきものが見えてきた!
明智藪に到着。
ここで明智光秀は殺されたらしい。
木碑が目印。
その木碑の目印は後ろに生えている
大きく背の高い竹。
祇園祭で出てくる山車をイメージさせる。
たぶん、当時はうっそうと茂っていた
竹藪であったと想像できる。
しかし、この辺りは開発が進んでいて
右隣はほとんど何もなくなっている。
それにしても、合戦のあった山崎から
予想もしなかったほど遠い。
周りは開発が進んで竹やぶは殆どない。
自然が残っていて当時の合戦の雰囲気のある
大山埼の天王山とは天と地ほどの差。
生活が便利になるほど昔のものは
消されていくのかもしれない。
少し切ないが仕方なし。
知的好奇心を満たしに現地に行って
感慨にふけるのもアリ。
明智光秀藪
住所:京都府京都市伏見区小栗栖小阪町 寺領 本経寺