「近衛家別邸 御花畑御屋敷跡」に石碑が出来ました。新たな京都観光スポットがリアルに増えて歴史好きは是非行かないと。

京都は言わずとしれた観光地。

 

江戸時代を始め現代まで色んなところで

色んな事が起こってきました。

 

また、その出来事を利用して観光客を

呼び寄せています。

 

そんなことで、今まで何も無かった所に

ある日突然何かの目印ができたりします。

 

その1つがこれ。

「薩長同盟所縁之地」の石碑

 

よく利用している道路に変わったモノが

あると目立ちます。

 

ついこの間まで無かったのに。

ちなみに写真は3月に撮影。

 

なんやかんやで記事にし損ねていました。

 

場所はカフェの老舗「フランジパニ」

の真ん前の角地。

 

「薩長同盟所縁之地」と書いてます。

konoeheiohanabatakeoyasiki (3)

読み方は「さっちょうどうめいゆかりのち」

 

その石碑のウラには

「近衛家別邸 御花畑御屋敷跡」の文字。

konoeheiohanabatakeoyasiki (4)

読み方は

「このえけべってい おはなばたけおやしきあと」

 

別角度では「小松帯刀寓居跡」

konoeheiohanabatakeoyasiki (5)

読み方は「こまつたてわきぐうきょあと」

 

なんやいっぱい書いてあってどれが

どれやらよう分からん。(笑)

 

読み方や漢字も難しいし。(汗)

 

ちなみにお店の横の壁には写真付きの

解説板が掲示されています。

konoeheiohanabatakeoyasiki (2)

 

解説版にはこの地に関する事に対して

解説している写真や説明文が細かく

書かれています。

konoeheiohanabatakeoyasiki (1)

 

この間はガイドさんの案内で、ここに

たくさんの観光客が集まっていました。

 

ガイドさんの説明を皆さんで一生懸命

聞いていました。

 

その中に入って僕も説明を聞きたかった。

 

本文の内容によると

徳川時代には鞍馬口通は京都(洛中)の

北端とされていた。

 

そこに「近衛家別邸 御花畑御屋敷」

が建てられた。

 

そして幕末には「島津家家老小松帯刀寓」

が住んでいたと言う訳です。

 

資料の地図を見るとかなり広範囲の敷地。

 

書いてある資料でも南北約55メートル

東西は最大約140メートル。

 

これはかなりの広さ。

大屋敷という言葉にピッタリかも。

 

歴史的に有名な西郷隆盛、大久保利通

木戸孝允、坂本龍馬らが屋敷に立ち寄った

と思えばロマンが広がります。

 

歴史好きにはたまらん場所かも。

 

そう思って立ち寄っていただくと

さらに京都観光が楽しめるかも。

 

近衛家別邸 御花畑御屋敷跡

(フランジパニ)の敷地内

場所

京都府京都市上京区森之木町 室町通鞍馬口下ル森之木町462

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