8番 北区紫竹上長目町・堀川町にある御土居。
御土居の中で最北端。
現物
紫竹上長目町の読み方は
しちくかみながめちょう。
今まで何度も通っていたが
全然気づかなかった。(汗)
それこそ車やバイクや自転車で
腐るほど通り過ぎていました。
たぶん視界には入っていたのですが
工事途中の盛り土扱いでした。
歴史的価値を知らないとはっきり言って
ただの工事途中の盛り土。
堀川と加茂街道の合流地点なので
危険回避のため、先の道路しか見てない。
心と目視の両方死角である。
こちらの御土居は堀川を挟んで
二つに分かれている。
9つの御土居の中で一番高さが低い。
1番川に近いのになぜなんだろう?
川側の御土居は建物とのあいだに
ぽつねんとある感じ。
すぐ近くに水路があり御土居にそって
水が流れている感じ。
一方の御土居は住宅地の隣にある。
二つの御土居の位置関係から、もともと
あった御土居を潰して住宅を建てたことが
推測される。
後に調べてみると行政指導にも関わらず
御土居を破壊して建物を建てたよう。
御土居マップより
http://www.ninomiyashoten.co.jp/kml/ictz/105/fig1.kml
(グーグルアースを利用すると御土居の地図が見られる)
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1964年、建設業者が京都府行政の
再三にわたる制止を無視して破壊。
御土居を破壊されたのが1964年なので
日本の高度経済成長時代。
イケイケドンドンで建築業者が力を持ってい
日本を開発していた時代。
目に浮かぶようです。
1930年(昭和5年)に国の史跡として
指定されているので法律違反。
歴史的価値と未来への開拓が
せめぎ合うのは今も昔も変わらない。
立派な御土居がもったいない。
先の工事が無くとも2つに別れている御土居。
御土居を二つに分けている堀川通も
昔は、こんなに車が通れるほど
広くなかったのでは?
また、堀川通自体も御土居の部分で
行き止まりだったのでは?
すぐ近くに加茂川中学校があり
歴史の勉強のとっかかりとして
素晴らしい教材がリアルで近くにある。
生徒達が歴史的に重要なものと認識して
くれるかどうかは別問題ですが。
史跡 (最北端)御土居
住所:京都府京都市北区紫竹上堀川町